萬福寺の歴史

 開創より淵神社となるまで

「長崎市史地誌篇 真言宗」第十一 寳珠山能満院萬福寺より一部割愛しました


正保4年(1647)創立
 所在 長崎市竹の久保町762番地。今の淵神社上の山を妙見嶺又は虚空藏峰とも云う。伝説によれば、ここは元神宮寺の支院であった所で、寺は麓なる海岸にあって、そこには弁財天の祠を設け、山頂には虚空藏菩薩と玄武神とを祀り之を妙見と云った。これが山の名の起こりである。山の一名を寳山と云い、後また寳珠山とも云うた。この峰が茂り鮮やかでその形が寳珠に似て居たからであると云う、意味のことが長崎圖史に書いてある。
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 この地は既に述べた如く古寺の跡であったが、正保4年に至り延命寺の開基龍宣が一寺を此所に設け寳珠山萬福寺と称し辯才天を勧請して古に復した。この地が稲佐村の内にあるを以て俗に之を稲佐弁天社と呼んだ。此の寺は山を負い江に臨み景勝の地を占めているが、昔は淵村の惣鎮守として江に沿える諸村で毎年8月7日に大祭を行ったものであった。


 当寺は開創後、24年の間は延命寺住持の兼帯で別に住持を置かなかったが、萬治元年に至り、龍宣の法嗣たる龍盛を第二代の住持となしたので以後延命寺の末寺となった。




 明治初年神仏混淆が禁ぜられたので、当寺は純然たる神社となり淵神社と改称せられた。

 再 興

 開創より十一代にわたる住職が、明治4年(1871)の神仏混淆の禁止に至るまで護ってきたのであるが、当時の政府施策により淵神社となる。萬福寺再興の前身寺である真言宗稲佐教会は寺町延命寺の別院(通称 延命寺別院)として大正13年(1924)延命寺第21世茂里舜龍が建立。


 以後、延命寺の兼帯であったが平成17年(2005)に正住職寺院となり独立し、それを機に神仏混淆の禁止で、その名が埋もれていた寳珠山萬福寺を130余年ぶりに再興改称した。長崎港、浦上川を境に西側の地区では唯一の真言寺院である。現在の堂宇は平成21年(2009)に建立。