きのうは何も感じなかった話が、きょうは何となく心に残る話になっているかも知れない。私たちの心は日々動いています。ちょっとした言葉に、安心をおぼえる時があるかも知れない。そんな法話が見つかるかも知れません。
法話の文章には他の御方のお言葉をお借りしているところも多々あります。
お大師様のみ教えを伝える方便として何卒ご容赦下さいませ。
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イチ押し光明真言土砂加持法会の功徳

08 近くして見がたきは我が仏



ともに歩く


 高野山という場所は、 日本でも有数の霊場で、 そのふん囲気というか、 空気というか何とも言い現わすことのできないものがあります。 まさに霊気という表現がぴったりきます。 世界的にも東洋の考え方が見直されていて、 外国の方々も真言宗のみ教えすなはち、 宗教の考え方にも興味があつまっています。
 シーズンになると家族連れで外国の方々があちら、 こちらに見られます。 高野山の中でも一之橋から中之橋、 そして御廟橋を渡ってお大師さまの御廟までの奥之院の表参道は、 大人が二、 三人でかかえこんでもまだ手が足りない程の樹令数百年をこえる杉木立の中に、 諸大名のお墓が建ち並んでいます。 まさしく霊気とよぶにふさわしいふん囲気です。


 そこを外国人の親子があたりを見回しながら歩いていました。 両親の方は、 すばらしい杉木立やお墓を興味深かそうに見ながら歩いています。 子どもの方は、 ただ退屈そうにあっちをうろうろ、 こっちをうろうろとしています。 まだ小さい子どもですから後ろから歩いていた私は、 ころんだりしないか、 墓の奥の方へ行ったりしないだろうかとハラハラしていましたが、 当の両親はいっこうに気にしない様子です。
 日本人の親子だったならば、 子供のことを気にせずにはおられないでしょう。 おそらく、 子どもの手を引いたり、 横に並んで歩いたりするのではないでしょうか。
  僧侶である私は、こんな時、すぐに宗教的な発想になります。「ともに歩くが仏教の教えなんだよなあ」と。お大師さまのみ教えでは、 すべての人々がともに歩いていこうということで、 そして、 そこには、 いつでもどこでもお大師さまが御一緒にいて下さるということです。 手を引いて歩く、 横に並んで歩くということが、 仏教的な考え方で、 「ともに歩く」 ということだと思います。




常識という言葉


 常識という言葉があります。 広辞苑で意味を引いてみると、 「普通一般人が持ち、 また、 持っているべき標準の知識。 専門的な知識ではなく、 一般的な知識とともに理解する力、 判断する力、 考え方、 分別などを含む。」 となんだかむずかしそうに書かれています。 ここに以外と落し穴があります。 私たちは、 常識という言葉を何気なく使いますが、 その時、 その場所、 その立場で 「常識」 がいろいろかわってきます。


 霊場高野山には真言宗の総本山でありますが、 ここには幼稚園をはじめ高校、 大学などがあって、 真言宗の勉強、 お大師さまのみ教えの勉強と、小さい頃から自然と身についていきます。 全国の寺院の子供さん、 また、 お坊さんになろうと志す人達もここに集ってきます。 机の上の勉強だけでなく、 四度加行といてお坊さんになるための約百日間のきびしい修行があります。


 この修行も高野山でおこなおうと集ってきます。 勉強にしても、 修行にしても高野山がやっぱり中心となります。 ですから高野山では、 高野山上以外のお寺を地方寺院と呼びます。 日本の首都は東京で、 あらゆるものの中心となっています。 しかし、 真言宗の総本山という立場からみれば、 東京のお寺でも地方寺院なのです。
 真言宗という宗教の地図では、 約千メートルの山の上が首都なのです。 学校で教えてくれる常識ではありません。 自分の宗教が仏教であって、 その中の真言宗を信じ、 お大師さまを信仰している人であれば、 高野山が真言宗の首都であることを知っているのは常識であるはずです。


 しかし、 ほとんどの一般の皆さんは、 高野山上以外のお寺を、 東京のお寺であっても、 大阪のお寺であっても地方寺院と呼ぶことは知らないはずです。
 また、 高野山では右手と左手を合わせ何気なく合掌をします。 道で知っている人に会ったら 「この間は大変お世話になりまして・・・」 とあいさつをかわしながら合掌。 物を取ってもらっては 「ありがとう」 といって合掌。 「ようこそ、 高野山にお参り下さいました」 といっては合掌をします。 高野山ならではの常識です。
 他の所へいけば、 私ども僧侶ならばいざしらず、 きちんと背広を着て、 ネクタイをしめて、 会社でも取引き先でも常に合掌をするでしょうか。 合掌する心はもっていても、仏教の理想ではあっても、現在の日本においては、何かにつけ合掌することが常識ではありません。


常識という言葉はすべての人々が知っていて、 はじめて常識という言葉が使えるのであって、 一人でもそのことを知らない人がいれば常識ではないのではないでしょうか。
 「そんな簡単なことは知ってて当然。 常識がないなあ。」 といいますが、 それは、 あなただけの常識で、 別の人にとってはぜんぜん常識ではないかもしれない。 その人、 その人によって常識のものさしの長さが違っています。 ということは、 人、 それぞれ考え方や立場が違うということです。




  人生のものさし


 それでは、 いったい何をものさしとすればよいのでしょうか。 お大師さまのお言葉に


近くして見難きは我が心細にして空に遍ぜるは我が仏なり
-十住心論- 


とあります。 「もっとも近くて、 自分のものでありながら、 その本当のすがたを知りがたいのは自分自身の心であって、 また、 目には見えない細かくて、 この全宇宙に満ちあふれているのは、 自分自身の心の中の仏である。」 とおっしゃっておられます。
仏さまのみ心はすべての人が平等であって、 上も下もない。 先ほどの常識という言葉にしても、 「そんな簡単なことは知ってて当然、 常識がないなあ」 と戒めることは、 相手が知らないことについて相手を見下す気持ちが心のすみのどこかになるのではないかと思います。


 先頃のニュースで、 生まれて間もない赤ちゃんを病院から連れ出し、 自分の子供にしてしまおうとした夫婦がいました。 くわしくは存じませんが、 その夫婦はずいぶん前から、 妻の方が妊娠したといっておなかにものをつめてふくらまし、 赤ちゃんを連れ出した後には出産したといっていたそうです。 しかし、 約一ヶ月後に自首して子供をかえしました。


このニュースを聞いて私は、 この赤ちゃんはおそらく実の父母の元にはかえってこないだろうと思いました。 今までの他の事件の時でも、 ほとんど無事でもどってくることは少なかったからです。
しかし、 私の予想が無事はずれて、 約一ヶ月後に実の父母の元へ赤ちゃんがかえってきたというニュースを聞いて、 また、 連れ出した犯人のことを聞いて何だか複雑な気持ちになりました。 犯人夫婦はただの気まぐれでなく、 長い時間をかけて罪を犯してでも赤ちゃんがほしかった。 約一ヶ月の間、 罪の意識におしつぶされそうになる心をだましながらでも、 赤ちゃんがほほえめば謹かながら幸せを感じたに違いありません。 逆に、 連れ出された実の父母にとっては不安と心配の一ヶ月であったでしょう。 犯人夫婦は、 赤ちゃんのほほえみをみて自分の心の中の仏に気づいたのです。


近くして見難きは我が心


 あまりにも遠く、 手のとどかない子宝を見つめ続けることで、 自分自身の心の中のものさしに気がつかなかったのでしょう。 しかし、 赤ちゃんのほほえみで心のものさしを手にすることができたのです。


 私たちは、 心のものさしに気がついた時に、 それが物事を判断するだけではないことに、 再び気づきます。 このものさしは、 実は心の中の仏さまです。お寺の本尊様も、私の心の中の仏さまも、あなたの心の中の仏さまも、すべての人々の心の中の仏さまも同じ仏さまなのです。心の仏さまと「ともに歩く」ことができれば、きっと楽しい人生が送れることでしょう。

07 いのちの源

記 憶


 以前にテレビで放送された番組の話しです。それは記憶についての不思議な話しでした。


 人間には当然のごとく記憶というものがあります。記憶というものは、例えると、頭の中の引出しに一つ一つしまわれています。
 その引出しの中から、自分の意志で引出せる記憶と、自分の意志では引き出せない記憶とがあるそうです。また、記憶というものは赤ちゃんにもあるそうです。赤ちゃんというより、二歳から三歳くらいの子どもに尋ねると、生まれる時のことを憶えているの子供がいます。


 ある子どもにお母さんが「○○ちゃん、 生まれる時どんな感じだった」と尋ねると、子どもは「とても痛かった」とか「 黄色の手が見えた」と話したそうです。痛かったというのは産道を通る時に痛かった。黄色い手が見えたというのは、産声をあげて先生にとりあげられた時に、その先生が黄色っぽい手ぶくろをしていたのです。生まれたばかりの赤ちゃんでも、目も見えれば、音も聞こえるというのです。


 また、お母さんのおなかから生まれ出る前の記憶もあるというのです。お母さんの感覚を通じて、胎内の赤ちゃんも同じことを思い、同じように感じているそうです。初めての子宝に恵まれたお父さんとお母さんの話しですが、子どもに生まれた時のことを尋ねると、 お父さんが水をゴクゴク飲んでいたというのです。母親はそのことについて、分娩室に父親がいて、父親も初めての出産だったのであまりに緊張し、病院で母親のために用意してあった水を飲んだそうです。それが何と、生まれる二、 三分前のことだったのです。また、生まれる二、三ヶ月前に母親が、久しぶりに外出し、夜景を見たことを胎内にいた赤ちゃんが憶えていたという例もあります。


 別の子どもは、兄弟でバイオリンを習いに行っていたのですが、ある日、弟が一度も習ったことも聞かせたこともない曲を突然ひきはじめました。その曲をどこで憶えたのか尋ねてみると、お母さんのおなかの中にいる時に聞いたというのです。そういえば確かにその子どもが母親のおなかの中にいる時、お兄ちゃんが一生懸命に練習していた曲だったそうです。


 皆さんは不思議に思うかも知れませんが、大人が子どもに、生まれた時のことやその前のことを聞かないから話さないだけで、だいたいの子どもは憶えているそうです。ただし、五歳くらいまでで、それからは新しい知識が次から次へと入ってくるので、どこか奥の方の引出しにしまわれてしまうのです。


 余談になりますが、精神的な病を治療するのに、アメリカのある医者の方法として、催眠療法を行っています。ある高所恐怖症の患者に、催眠術をつかってその原因をさぐります。記憶をどんどんさかのぼって、赤ちゃんの時までいくと、そこに原因があったのです。それは生まれた時に、病院の先生が赤ちゃんであった患者を母親からとりあげた後に落としてしまったのです。原因がわかった高所恐怖症の患者は、今では高い所も平気になったそうです。「三つ子の魂、百まで」とはよくいったものだと思います。


 話しを赤ちゃんの記憶にもどしますが、もっとおどろくことに、大人になっても
「赤ちゃんの頃や胎内にいる頃の記憶がある」という方がインタビューに答えていました。その方は、母親のおなかの中で受精する前のことも憶えていたのです。「このお父さんとお母さんの子どもとして生まれたい」と思って生まれてきたというのです。一体、この「いのち」はどこから生まれてくるのでしょうか。




阿字の古里


 お大師さまのお弟子であり、実の甥でもあった智泉大徳のお話しです。
 智泉大徳はお大師さまの姉君の子で、九歳の頃からお大師さまの弟子として御修行されました。 他の誰よりもお大師さまをしたい、身の回りの一切のお世話をし、年若くしてお大師さまの十大弟子の一人となられました。お大師さまも御自身の後継ぎと目される程の秀才であり、秘蔵の弟子としてかわいがられていましたが、智泉大徳は三十七歳の若さで御遷化されたのであります。


 お大師さまは智泉大徳の追悼文の中で、「金剛の子智泉よ、私の影のように随がって片時も離れずにいた。私が苦しめばおまえも苦しんで、また私が楽しめばおまえも自分のことのように楽しんでいた」 と切々とその思いを綴っておられます。


 四十九日の満中陰忌に十大弟子から一人欠けた九人のお弟子を従え、お大師さま自らお導師をつとめ法会を修されました。その法会の終りに、お堂の中のお灯明が一斉に輝きだし、その時、白い蓮花の上におすわりになった智泉大徳の姿が現れました。


 智泉大徳はお大師さまの方を向き、合掌してほほえみながら消えさったのです。九人の弟子たちは驚きの声をあげました。お大師さまは一人合掌してその目をとじ、


 阿字の子が 阿字の古里立ちいでて
      また立ちかえる 阿字の古里


と和歌を詠まれたのです。


 この和歌は、いのちがどこから生まれ、またどこへ帰っていくのかを詠んでいます。  
 阿字というのは、梵字といってお釈迦様の時代の言葉であります。阿字はわかりやすく言えば大日如来のイニシャルで、大日如来は大宇宙の根源であります。阿字の子とは、大日如来の子ども、私たち動物や山川草木もふくめた全てもののことでもあります。 仏さまのいのちをほんの少し頂き、この世に生まれて出て、再び仏さまのいのちの源、大宇宙、大自然、すなわち、大日如来のいのちへと帰っていくのです。


 おなかの中で受精する前に「このお父さんとお母さんの子どもとして生まれたい」と思って生まれてきたいのちは、大宇宙の源である大日如来より頂いた「いのち」なのであります。  


 私たちは仏さまの「いのち」を頂いています。 生まれながらにして仏のこころをもっているのです。 お大師さまは「仏のみ教えは遥かに遠いところにあるのではなく、私たちの心の中にあるのだ」 とおっしゃっています。この仏のこころが、知ると知らざるとに関わらず、人生の荒波にもまれ、あたかも満月に雲がかかるように陰ってくるのです。お大師さまのみ教えは、その仏さまのこころ、すなわち、仏さまの「いのち」に気づくことだということです。


 熊本県荒尾市出身で癒やしの仏教詩人と言われる「坂村真民」さんは、


  生を美しく念ずる人は 死もまた美しい


と詩っておられます。


 私たちが今ここに生きて、その「いのち」は仏さまからほんの少し頂いた「いのち」であるからこそ、仏の道を歩く菩薩として日々を過さなければならないのではないでしょうか。 一日一日の人生を美しく過ごしたいと念ずることは、 そのまま仏さまの修行となるはずです。知らず知らずのうちにかげったこころは、ふたたび満月のようなあたたかい光をとりもどすにちがいありません。

06 弘法大師が書かれた手紙







「拝啓、寒さも緩み春の日差しが心地よい季節となりました。永らく御無沙汰をしておりますが、皆様お変わりありませんか。」などと、最近手紙をしたためた事がありますか。
 現在は通信手段もさまざまなものがあり、手紙を送る機会が少なくなってきたのではないかと思います。手を伸ばせば電話があり、しかも台所に立っていても、こたつに座ったままでもコードレス電話で用事を伝えたり、気軽に井戸端会議ができます。行き先をつたえる場所を伝えようとすれば、地図が送れるファックスもあります。さらにもっと便利になり、いつでもどこでも相手に伝えたいことが出先から携帯電話ですませられます。相手との会話をしなくても、若い方に限らず、パソコンや携帯電話を使った電子メールという手段もあります。今、高野山大学に行っている私の長男との連絡も、インターネットを通じてテレビ電話もできます。しかもインターネットなので通話料は無料です。何かな用事があれば、日ごろ利用し大変便利です。


 私が小さい頃、今ではどの家庭も電話があるのが当たり前ですが、まだどの家庭にも電話が十分に備えられていなかった頃「だれだれさーん、電話ですよー」と御近所さんを呼び出すお使いに行っていました。今の若い方たちには想像もできないでしょうが、「もしもし、お寺さんですか。御近所のだれだれさんをお願いします」取り次ぎ電話がかかってくれば、家の外に出て呼び出しに行くのです。逆に電話を借りにくる時も、お寺の電話は公衆電話のように十円玉を入れてかけるようになっていましたので「電話をかしてください」と小銭を持ってくるのです。私には懐かしい思い出でも、私の子供たちにこのことを話したら大笑いしました。とにかく手紙でも電話であっても、「伝えたいこと」を相手とやり取りするのは、手段は違っても、今も昔もかわらない事なのだなあと思います。


 平安時代のお大師さまもいろんな人々と交流され、その時代は当然のことながら、手紙で伝えていました。お大師さまからの書状は、弟子に託され相手の方に送られます。そして弟子は返事を持ってお大師さまの元に帰っていきます。高野山のお山の上から手紙をたずさえて、何日もかかって届けられたのでしょうか。 
 お大師さまの真筆の手紙は、現在、京都東寺所蔵の三通が残っていて国宝に指定されています。それぞれ書き出しの二文字をとって「風信帖」「惣披帖」「惣恵帖」の三通でいずれも比叡山の伝教大師最澄上人に宛てた手紙です。文章だけ残っているその他のお大師さまの手紙は、弟子の真済僧正が、お大師さまの詩文がちりぢりにならないように「性霊集」という御本を編集されました。その中の「高野雑筆集」にほとんどの手紙が納められています。そんなお大師さまが書かれた手紙をいくつか御紹介したいと思います。なお、元文は名文ですが大変難しくもあり、元高野山大学学長高木しん元先生が書かれた「弘法大師の書簡」を参考に現代風にいたしました。




◆風信帖 伝教大師宛


 「お手紙をいただき拝読いたしますと、まるで天からの手紙を目の前にしたような気が致しました。(風信雲書、天より翔臨す)そしてまた、まるで親しくお会いしているかのようでもありました。摩訶止観の妙門をいただき、まことに有り難く身のおき所も無いほどに嬉しく存じました。早や寒さをおぼえる頃となりましたが、お身体お変わりはございませんか。私空海は相変わらず時を過ごしております。お誘いの言葉にしたがって比叡山に登りたく思いますが、ひそかなる願いのお勤めを、期間を定めて修行しておりますので、参上することが叶いません。今、あなたと室生山の住職と三人がひとところに集まり、将来の仏教のあり方や重要性を語り合い、仏さまの恩徳に報いたいと思います。出来れば煩わしさをいとわず、私のところまでお越し下さいませ。切に切に願います。」


 この手紙は、比叡山延暦寺の天台宗最澄上人である伝教大師に宛てた手紙です。当然ながら比叡山にあったもので後の時代に、真言宗へ返して頂いたようです。「摩訶止観」というのは天台宗の中心の教えです。伝教大師と弘法大師は、同じように第十六次の遣唐使船にのって中国へ渡り、新しい仏教のみ教えを日本へ持ち帰りました。当時の仏教は平安仏教といわれ、それまでの仏教と違い一般庶民にまで仏教を広げようとしました。手紙の内容は、これまでの奈良仏教と力を合わせて仏教を広めていこうと提案した手紙です。しかし、伝教大師と弘法大師は微妙な考え方の違いによって、天台宗と真言宗は、後々長い間交流がなくなりました。






◆惣披帖 伝教大師宛
「お寄せいただいた手紙を早速拝見いたしまして、安心いたしました。(忽ち枉書を披いて、已だ陶爾を銷す)二包みのお香と左衛士府の長官殿の御書状とを拝受いたしました。ところで、現在は修行のお勤めが近づいておりますので、しばらくの間お目にかかることが出来ません。このお勤めが終わればお会いすることができましょう。使いのものが帰るのに託して取り急ぎ御返事申し上げます。」
 この手紙は、同じく伝教大師に宛てて、お香をいただいたお礼と左衛士府の長官殿に宛てた書状を受け取ったお礼を手紙にしています。長官は藤原冬嗣です。比叡山よりお使いのものがお大師さまの元とを訪れ、用事を済ませ帰る時、返信を書かれたものです。






◆惣恵帖 伝教大師宛


 「早速にお便りをいただき、安堵いたしました。お香などは三日に届きました。この月の三日よりはじめて九日までで修行のお勤めが終わります。したがって十日の明け方には、あなた様をお伺いしたいと思います。どうか、そのつもりでお待ち下さいませ。山城、石山の両大徳も、是非ともお会いしてお話し申し上げたいと願っております。


 また、以前よりお伺いしています仁王経などは、ただいま備講師が持ち帰ったままで、いまだに返却してまいりません。後日、私自身が持参いたしますので、どうかお責めにならずお許し下さい。使いの者が帰るに託して御返事いたします。」
 弘法大師は、中国から持ち帰った経典を伝教大師に、たびたび貸し出していました。おそらくはそのお礼にお香などを送っていたのではないかと思います。この手紙は、以前から伝教大師から「仁王経」などを貸してほしいとの申し出があり、それを受け取りに使いのものが弘法大師の元へ尋ねてきたのですが、あいにく吉備の人に貸し出し、まだ返却されていないので、申し訳ないが後日私が持参しますとの手紙です。






◆陸州の徳一菩薩宛
「摩騰がもしインドから中国へ来ることがなかったら、当然仏教もまた伝わることがなく、漢の国の人々は、耳が聞こえないかのように、まことの教えを聞くことがなく、康会が呉の国に行かなかったら、その国の人々は盲目のままであったでしょう。お噂を聞けば、徳一菩薩はその智慧は深く、かつ澄みきったさまは大海のような方だと伺っております。あなたは都の煩わしさを避けて遠く離れ、錫杖をふるって遙か陸州ヘといかれました。ー中略ー
 わたくし空海が大唐の都に留学して学んできた多くの経典は、いまだ多くの部数を書き写すことができずに、皆様に読んで頂くことも出来ません。いま、ご縁のある人たちの手によって経典を書き写し、その教えを広めようと願っております。そのため、弟子の康守をあなたの元へ遣わしました。何とぞ御援助賜れば、この上なき幸せでございます。あなたとは遠く離れ、雲と樹のような親密な間柄も叶いません。しかしそれを望まないものがありましょうか。どうか時折、風雲によせてお便りを恵み及ぼし下さいませ。謹んでしるし奉ります。」
 この手紙は、弘法大師が法相宗の徳一菩薩に、大唐の都すなわち中国より持ち帰った真言宗の教典を読んでもらい、また理解して、どうかその地でも広めてほしいとお願いしたものです。弘法大師は、持ち帰った経典をより多く複写し、全国へ広めたいと考えていましたが、なかなかその作業ははかどりませんでした。そこで名高い徳一菩薩にお願いしたのです。現在のように印刷機はなく、全て手書きで写し取るのですから大変な作業であったことと思います。






◆鎮西府の某氏宛


 「鎮西にてお別れして以来、七年が経ちました。今なおあなたを思い慕う気持ちでいっぱいです。ー中略ー
 わたくしは、今いささか仏さまを供養しようと思いつつも、山寺には物が乏しく、何ごとにも十分に力をいたすことが出来ません。何とぞ米油などを御援助下さいますようお願い申し上げます。また大唐より持ち帰った経典を写し書いて広めようと思いますが、紙や筆にも不自由しています。これらもまた恵み施されんことを切にお願い申し上げます。


 この手紙は、中国より日本へ帰ってきて、九州筑紫(福岡)でお世話になった方に援助をお願いしたものです。中国から帰って七年以上の月日が経ち、真言宗を広めるために御苦労なさっている様子がうかがえます。

05 無財の七施

無財の七施(むざいのしちせ)
「布施」というとお坊さんにお礼をする金銭のことを思い浮かべますが、「布施のこころ」でお話しいたしました通り、金銭や物品いがいであっても布施は出来ます。今回は施しをする心さえあれば誰にでもできる布施についてお話しいたします。


眼施(がんせ)

 第一は眼施。即ち、眼の施しであります。「他の人に対して、親がわが子をみるような愛情のこもった眼差(まなざし)を持つことが施しだ」というのです。よく「眼は口ほどにものを言う」といいますが、まさしく、眼は心の窓ともいえるでしょう。欲しがる時にはもの欲しそうな眼をします。怒った時にはつりあがります。悲しい時にはうるんだ眼に涙があふれてきます。楽しい時には三日月のように細くなります。優しさにあふれた眼差は、人の気持ちを和らげます。1988年(昭和63年)のソウルオリンピックで大活躍の高校生コンビがいました。当時、彼等は大阪の清風高校という学校の三年生で、校長先生は真言宗の大僧正です。先生の教育方針は、弘法大師のみ教えに一貫しています。ところで、ソウルオリンピックに彼等をおくりだすまでの特別番組で体操クラブの指導の先生が、出場直前の彼等をいても立ってもいられずに、オリンピック会場の控え室に、激励に行く場面がありました。その控え室からでて行く二人を見送る眼差はまさしく、親が我が子を見送る眼差に勝るとも劣らぬ真心のこもった眼差でありました。愛情のこもった眼差しは施しとなり、人のこころを和ませ落ちつかせ、また、ふるいたたせ勇気をわき起こさせることも出来るでしょう。



和顔悦色施(わがんえっしきせ)

 第二は、和顔悦色施であります。和顔とは柔らかい顔つきで、悦色とは晴々とした親しみを持った表情のことです。柔らかく親しみを持った笑顔でで人に接することが施しになるというのです。「笑う門には福来たる」まさしく、その通りでしょう。日本という国の人々は、昔から表情に乏しいようにいわれます。表情に乏しいというよりも、感情を表情にあらわさないことが一種のたしなみのように考えられてきました。特に男性は、黙して語らずというところが美徳とされるところがありました。和顔というのは、いわゆるご機嫌とりとか、八方美人になれというのではなく、進んでまわりの人に愉快な感じをあたえるような表情です。人生経験の長い方はおわかりでしょうが、怒ってばかりじゃ福は訪れません。まさしく「笑う門には福来たる」の和顔悦色施の生活であって欲しいものです。



言辞施(ごんじせ)

 第三は言葉の施しであります。言葉というのは悪用すれば人を傷つけ、おおげさにいうと人生をも変える可能性もあります。一言の言葉によって人に憎まれたり、信用を失ったりします。みんな誰しも今までをふりかえってみると一つ二つ思い当たることもあるのではないでしょうか。弘法大師様も『声字実相義(しょうじじっそうぎ)』という書物に、「一字一言の言葉が仏様の分身であり、音声の仏様であるからそれを聞く人々は、自然に心を浄められ、慰められ、励まされて幸福になる」とおっしゃられています。一言の言葉の大切さというのは、実社会で生活している皆様の方がよくご存じだとおもいます。



身施(しんせ)

 第四は身施です。力施(りきせ)ともいいますが、これは見て字の如く力をかす施しであります。これはただ単に人の荷物をもってあげたりする事でできる施しです。最近は、自宅から届先まで迅速に配達してくれる宅急便が発達して大変便利になりました。旅行に行くにしても出張でも目的地までバッグ一つでいけます。配達する人にとっては仕事ではありますが、社会的な役割は大変なものだとおもいます。宅急便の会社も沢山ありますが、ある宅急便会社の会長が真言宗の信者であり、本社の始業まえにかならず『般若心経』をお唱えするそうであります。新入社員には会社独自の研修会とは別に、毎年高野山で研修会をして『般若心経』を覚えさせ、それと同時に宗教的な立場で仕事を考え、お客にどのように接するかを考えるよう研修を実施したこともありました。ただ小荷物ひとつを仕事で届けるのではなく、送り主の「真心」も一緒に送り先へ届ける事が大切だという事です。「真心」の橋渡しとなる献身さが自然と身施になるのではないでしょうか。これはどんな仕事にもいえる事だとおもいます。



心施(しんせ)

 第五に、心施であります。愛のこもった心、それが最も大きな施しです。インドのお釈迦様の時代に一人の女がすんでいました。女には一人の可愛い子供がありました。この女は、可愛い子供にいい乳をのませるには、人の子のいき血を吸うのが一番だとおもい、それでこの女は、あちこちの村をまわって、子供を盗みました。昨日はとなり村の子が、今日はこの村の子がさらわれ子をもつ親は来る日も来る日も不安で、夜もろくに眠れません。人々はその女を、鬼子母(きしぼ)と呼んでいました。人々の嘆きをおききになったお釈迦様は鬼子母をなんとか懲しめて反省させようと、鬼子母が一番可愛がっている子供をお隠しになったのです。しばらくして、子供を盗んできた鬼子母は、自分の子供がいないことに気付きびっくりして、近くの森や、村や、はては天界や地獄までもさがしまわりました。とうとう鬼子母は泣き倒れてしまったのです。子を想う親心は、人も鬼もかわりません。すっかり弱々しくなった鬼子母は、いままで、はむかっていたお釈迦様の所に泣き伏して助けを求めたのです。お釈迦様は鬼子母にこう諭されました。「鬼子母よ、自分の子を奪われてどんなに悲しいかおまえにもよくわかったであろう。おまえに子供を奪われた村人たちも、おまえとおなじように悲しい思いをしているのだよ。わが身をつねって初めて人の痛みがわかるもう決して恐ろしい罪をおかしてはならぬ」こういうと鬼子母は、不思議にも、人の心をおしはかるという心がわきおこってきたのであります。懺悔した鬼子母に子供をかえしてやると鬼子母は、いままでの事にむくいるにはどうしたらいいかを尋ねると、お釈迦様は、「お前の子供を愛する心をもって、同じように人の子を愛しなさい」と教えました。ご鬼子母はお釈迦様のおしえによって生まれ変わり人の子を大切に守っていったのであります。いまでは、鬼子母神として信仰されています。このように、おなじ人間が鬼にもなり仏にもなる。その境目は、人の心を忘れる時が鬼であり、人の心をおもいやる時が仏であります。



床坐施(しょうざせ)

 第六は床坐施。床坐(しょうざ)とは、自分が座っている席のことであり、その席をゆずってあげることが施しになるのです。簡単なことでは電車・バスで優先座席にかかわらず席をゆずってあげること。何事も譲り合うことが施しになるということです。譲る行為は少なからず自分を犠牲にします。自分中心の世界から「譲る」という行為で「お互いに」という気持ちが生まれてきます。
とかく私たちは我先にと自分のことをしようとします。一つのいすに数人が一緒にすわろうとしても座れません。身近なことで一つゆずればスムーズにゆくことが沢山あるのではないでしょうか。



房舎施(ぼうしゃせ)

 第七は、房舎施です。自分の家を綺麗にして、他の人が来てもこころ良くお招きして相手に気持良く感じさせる、そして、あたかも自分の家に帰ったような感じさえ与えることが貴い施しであるというのです。昔から日本の家には、縁側というものがありました。そこに近所の人が集まり、お茶を飲み、おかしをつまんではいろんな話に花が咲いたことでしょう。その縁側という場所は、コミュニケーションの場であり、情報交換の場でもありました。家の内側と外側を結ぶ縁側が少なくなるにつれて人と人のつながりも薄れていく。人と人との交わりの場が消えつつある今、房舎施が大切になっていくのではないでしょうか。


 私たちは、誰しも自分を中心に考えます。それはどうする事もできない人問の欲望であり煩悩であります。しかし、自分を生かしたいのは自分だけではなく、全ての人々が「自分が中心だ」と思っている事を忘れてはなりません。この七つの布施で他の人を生かす事、それはまた「同時に自分も他の人に生かし生かされているのだ」という事を心に留めていただきたいと思います。

04 光明真言土砂加持法会の功徳

 「土砂加持法会(どしゃかじほうえ)」というお勤めの名前を、多くの方が初めて耳にしたことだと想います。読んで字の如く、土砂、すなわち、清らかな砂を「オンアボキャ ベイロシャノウ・・」という光明真言でお加持します。また「加持」という聞きなれない言葉がでてきましたが、加持は詳しく言えば「加持感応」といいます。お大師様は加持について「即身成仏義」というご本に「加持とは仏さまの慈悲の心と、私たちのつよい信心をいう。たとえれば、仏さまの慈悲の光が、私たちの心の水面に映し出されるのを『加』といい、私たちのつよい信心で、心の水面に映し出された慈悲の光を感じ取ることを『持』をいう」とお書きになれられています。要するに仏さまがあたたかい慈悲の光を与えてくださっても、私たちが一心に仏さまを信じる心を持たなければ、ご加護や功徳をいただけないということであります。

 「土砂加持法会」は御真言の中でもっとも功徳がある光明真言で清らかな土砂にそのみ光をこめ、墓所に収め、または散ずることで罪を滅し、この上ない供養になる法会であり、また精霊供養において真言宗でもっとも功徳がある法会であります。

<御真言>

 日本仏教の宗旨は、浄土宗や浄土真宗、曹洞宗や臨済宗、そして天台宗や真言宗があります。もちろん私たちの宗旨は「真言宗」と言います。弘法大師、お大師様が当時の中国の都、唐でみ教えを受け、日本へお帰りになったのが平安時代初期の大同元年(八〇六)で、現在は跡地しか残っていませんが、福岡の観世音寺に約一年半ほどおられました。翌年、京の都にのぼられますが、唐の都より持ち帰ったみ教えを述べ、真言宗の御旗を大きく掲げられ、まさしく真言宗を開宗した時でありました。

 「真言宗」はお大師様の時代より、他にも真言陀羅尼宗、真言門、真言教、真言法教などいろんな呼び方をしていました。門も教も宗も「教え」という意味であります。いろんなお経にさまざまな呼び方がでてまいりますが、特に真言陀羅尼宗は現代でも使う場合があります。「真言」も「陀羅尼」も同じ意味でインドの梵語であらわされる言葉です。この言葉自体が仏様の言葉なので、真実の言葉であり覚りの言葉でもあります。たとえば、観世音菩薩、いわゆる観音様の御真言は「オン アロリキャ ソワカ」とお唱えします。この観音様や御真言が、どうやって出来たというか、生まれたかというと、次のようなことが「金剛頂経」に説かれています。内容がちょっとややこしいですが、お経を略して説明します。

 先ず初めに真言宗の総本尊である大日如来が、ある覚りの境地に深く入ります。すると、大日如来の心臓から「アロリキャ」という観音様をあらわす言葉があふれ出ます。次に、大日如来の周りの仏様たちが不思議な力で念じると、観音様のしるしである巨大な蓮華が現れます。すると今度は大日如来がその巨大な蓮華を手の上で収縮させます。そして、その蓮華より観音様が現れて、ほかの仏様と同じく大日如来の周りにお座りになります。つぎに大日如来は、再び覚りの境地に入り、観音様のしるしである蓮華を授けます。今度は周りの仏様が、蓮華を授けられたことを祝福し「あなたはこれで仏様である」と讃え、ここに観音様とその御真言が誕生いたします。このようにして、いろんな仏様や御真言が生まれてくるのであります。

<光明真言>

 私たち真言宗の信徒にとって、一番身近な真言というと「光明真言」です。般若心経はお唱えできなくても、お仏壇のまえで、ロウソクを灯し、お線香をお供えして、手を合わせお唱えするのは「南無大師遍照金剛」と「オンアボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン」という光明真言であります。光明真言は、詳しくは不空大灌頂光真言といいます。光明真言の功徳を説いたお経には、大日如来を中心として、宇宙に満ちあふれているすべての仏さまが、観音さまの化身の一つである清浄蓮華明王に授けた真言であると説かれています。ですから、大日如来の御真言であるとともに、すべての仏さまの御真言でもあります。それでは「光明真言和讃」をもとに「オンアボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン」とお唱えする光明真言の功徳を学んでいきたいと思います。

 和讃には「オンの一字を唱うれば、三世の仏ことごとく、香華・燈明・飲食の供養の功徳そなわれり」とあります。オンは捧げるという意味で、オンと一言お唱えするだけで、現在・過去・未来に満ちあふれるすべての仏さまに、お花や燈明や仏飯を御供えする功徳があります。さらに、もうひとつ「仏さまに身も心も捧げます」という意味もあり、私たちの信心もあらわします。ほとんどすべての御真言はオンの一言から始まります。合掌して唱えるオンの一言で、お仏壇に供える花、ロウソク、線香を捧げ奉れば、一層の供養となるでしょう。

 「アボキャと唱うる功力には、諸仏諸菩薩もろともに、二世の求願をかなえしめ、衆生を救け給うなり」とあります。もろもろの仏さまはこの世であってもあの世であっても、私たちを救ってくださるという願いを立てられました。アボキャと唱えれば、その願いがかなえられ、私たちは救われるのであります。

 つづいて「ベイロシャノウと唱うれば、唱うる我らがそのままに、大日如来の御身にて、説法し給う姿なり」です。ベイロシャノウは毘盧舍那で、光明が遍く照らすと訳します。すなわち大日如来のことであります。ベイロシャノウと唱えれば、仏さまである大日如来と私たちが一体となり功徳が倍増いたします。

 次に「マカボダラの大印は、生仏不二と印可して、一切衆生をことごとく、菩提の道にぞ入れ給う」と詠んでいます。大日如来は右手をあげて、その手より五色の光が満ちあふれ、私たちと仏は別々ではなく一つであると認めてくださいました。それだけでなく、すべての人々を仏の道へと導いてくださいます。

 「マニの宝珠の利益には、この世をかけて未来まで、福寿、こころの如くにて、大安楽の身とぞなる」と綴っていますが、マニ宝珠は如意宝珠ともいいます。こころのままに宝を生み出す珠のことであります。お地蔵様が手に持っているしずくのような形の珠で、お寺の手すり等の上にもあります。マニを唱えれば、宝を生み出すご利益を得て、この世からあの世にいたるまで幸福で長寿を願えば、思いの通りに大きな安楽をこの身に感じることになります。

 続けて「ハンドマ唱うるその人は、いかなる罪も消滅し、華の台に招かれて、こころの蓮をひらくなり」とあるように、ハンドマは蓮華を意味します。蓮華は仏教の象徴ともいうべき花であります。如来様や菩薩様は蓮華の台にお座りになり、明王や天は蓮華の葉の上に座ります。仏教の象徴である蓮華は、沼や池に花を咲かせます。泥沼であっても美しい葉を咲かせるので、汚いものに染まらない功徳が具わっています。この真言を唱えれば、一切の罪も消え失せ、浄土に生まれて蓮華のような仏心が開きます。

 次いで「ジンバラ唱うる光明に、無明変じて明となり、数多の我等を摂取して、有縁の浄土に安き給う」と唱えます。光明真言には宝珠と蓮華と光明の功徳がこめられていますが、このジンバラが光明であります。仏さまの智慧の光明によって、私たちの迷いの霧に包まれ、一筋の明かりもないこころが、影一つ無く照らされます。無知で罪多い私たちを見捨てずに、ご縁のある浄土に導いてくださいます。

 「ハラバリタヤを唱うれば、万の願望成就して、仏も我等も隔てなき、神通自在の身を得べし」と功徳を説いています。ハラバリタヤは回り転ずるという意味であります。災い転じて福となすという言葉がありますが、私たちの煩悩や欲望を、マニ、ハンドマ、ジンバラ、すなわち、宝珠と蓮華と光明の功徳をもって仏の智慧に転じていきます。成仏するという願望をなしとげて、仏さまの世界に仲間入りいたします。

 最後に「ウン字を唱うる功力には、罪障深きわれわれが、造りし地獄も破られて、忽ち浄土と成りぬべし」と唱えれば、光明真言の功徳もいよいよ満ち足ります。ウン字は菩提という仏の覚りを求めるこころと、満願成就の意味があります。これまでわずか二十一文字お唱えしてきた光明真言も、最後のウン字の一言で、仏の徳を求めるこころがわき起こり、その功徳も満ちあふれます。私たちが知ると知らざる間に犯した罪によって造りだした地獄も、たちまちに浄土となります。

 私たちが知ると知らざるとに関わらず犯す罪は、十悪、五逆、四重といわれます。十悪は、不必要な殺生・盗み・淫らな行為・嘘・きれい事・悪口・二枚舌・欲ばり・怒り・邪な見方の十種類です。この十悪は私たち日常生活で、いつでも犯す可能性がある罪であります。逆に殺生しない、盗まない、淫らな行為をしないなどと十悪を十善の戒めとして護れば、この上ない善行ともなります。
 次に五逆は、父母を殺すこと、聖者を殺すこと、仏さまを傷つけること、仏教教団を破壊することで、人の道にそむく最大の罪悪です。四重は、婬らな行為・盗み・殺人・修行したと嘘をいうことです。

<土砂加持法会>

 光明真言の功徳を余すことなくいただこうというのが「土砂加持法会」であります。お経には「光明真言をもって土砂を加持して、これを病人に与えれば病をいやすこととなり、亡くなった人の遺骸、お墓や供養塔に散布すれば、亡くなった人が犯した罪はもちろんのこと、私たちの罪も消滅して、善行を生むご利益を得る」とあります。また「十悪、五逆、四重の罪を犯してしまい、地獄などに陥っても、光明真言を一〇八遍お唱えし、土砂を加持して遺骸やお墓に散布すれば、若し地獄道の中にあっても、若し餓鬼道の中にあっても、若し修羅道の中にあっても光明真言の力によって、犯した罪の報いを取り除き、地獄で受ける苦しみの身体をすてて、たちまちに西方極楽浄土で蓮華の中より生まれ出て、覚りを得る」とあります。光明真言で加持された土砂は、お釈迦様の遺骨である舎利と観じ、舎利は、すなわち宝を生み出す宝珠と観じます。これこそ仏教最高の宝であります。この土砂をお墓や、骨壺の中に散じればこれまでお話ししたように、滅罪生善、先亡得脱の功徳となります。
 十二月七日に行います「土砂加持法会」は、春と秋の彼岸会とあわせて、特別大祭として恒例の行事であります。あわせて、本山である総本山金剛峯寺・高野山真言宗より肥前支所を、十二月一日より七日(萬福寺)まで巡回布教として高野山本山布教師がお越しになります。師走の月になりお忙しいことと存じますが、一年の締めくくりとして、光明真言の功徳をいただき、ご法話にてこころの安心を受けるべく、是非ともお誘い合わせの上、ご参詣くださいませ。

03 お盆

 それぞれの月日の墓を洗ひけり

 この句は、ご先祖様の一つ一つのお墓を、端の方から順に水をかけて洗っている姿が目に浮かんでくるような感じが致します。その墓の中には、大きな墓もあるでしょうし、小さな墓もあるでしょう。古い墓、新しい墓。「この墓は、あなたとこういう間柄になるんだよ。」と父母から聞いた事を思い出しながら、お盆を迎えるためにお墓掃除をしているのでしょう。さて、お墓掃除もしたし、仏檀の精霊棚もかざりつけました。いよいよ、十三日の日に迎え火をともして、ご先祖様をお迎え致します。盂蘭盆、つまり、お盆の由来はこうであります。お釈迦様の十大弟子のお一人である目蓮尊者という方がおられました。

 目蓮尊者は、幼くして父親を失い、母親一人の手で育てられました。現代でいう所の母子家庭であったのです。母親は、どんな事をしてでもこの息子を立派に育てようと、あらゆる手段で利益をとり、それで目蓮尊者を立派に育てあげたのです。悪いことをすれば当然としてその報いを受けなければならないことは、母親も十分に知っていたのですが、子供のためには、そのことを顧みる暇はありませんでした。目蓮尊者は、立派な教育を受け、社会に出て初めは学者でしたが、お釈迦様と出合いお弟子となりました。他にも多勢の弟子がいましたが、その中でも十大弟子の一人に選ばれる程であり、お釈迦様の片腕としてお働きになられ、仲間のお坊様からも尊敬されていました。目蓮尊者は、長い修行の結果、不思議な神通力を身につけていて、その神通力で亡くなった母が死後どうしているのかと、天国から地獄までくまなくさがしますと、餓鬼の世界へおちて苦しんでいる母の姿を見つけたのです。それを見た目蓮尊者は、大変悲しみ、どうにかして、少しでも苦しみを取り除いてやりたいと思ったのであります。

 餓鬼の世界へおちこんだ母親の姿は、骨と皮だけにやせ衰え、お腹だけがふくれて、のどは針のように細くなったあわれな姿でありました。目蓮尊者は、すぐに鉢に食べ物を盛って母親かのもとへ駆け寄ってそれを差し出しましだ。「おかあさん、私を育てるために、不正なことをしてこの餓鬼道へおちてしまったのですね。さあ、ここに食べものをもってまいりました。どうぞ食べて下さい。」母親は大変よろこんで食べ物を口に運ぶと、食べ物はボーッと炎をあげて燃えあがってしまいました。こんど目蓮尊者は、飲み水を差し出すと、またまた炎をあげ母親の口元を焼いてしまったのです。すると母親は、オーオーと泣き出して、鉢を投げ出してしまい、目蓮尊者も、目に涙をいっぱいにうかべ急いでお釈迦様のもとへ戻りこれこれしかじかと事の次第をのべました。目蓮尊者は、どうにかして母親を助け出す方法はないものかと尋ねました。お釈迦様は、座禅を組まれた姿より、静かに眼を開けられ、目蓮尊者の方を見て、「お前の母の罪は重くお前の神通力がいかに勝れていようとも救い難いようだ。七月十五日は多勢のお坊さんが集って一緒に座禅の修行をし、それがちょうど終る日である。この日に十万のお坊さんに供養しなさい。そうすればその功徳によってお前の母は苦しみから脱れることができるでしょう。」とおっしゃられると再び目をとじ座禅を組まれました。目蓮尊者は七月十五日に十万人の僧に食べ物を供養し亡き母の菩提をとむらうと、たちまちに母親は餓鬼道より救われたのであります。目蓮尊者は、とてももよろこんで、手を舞わせ、足の踏むところも知らずに嬉しさのあまり舞い踊って喜こんだのが盆踊りの始まりだとも言われています。母親が苦しみから脱れたこと、その喜びをお釈迦様にご報告しようと御前に参りお礼の言葉をのべました。「私の母はお陰様で飢えの苦しみから脱れることができました。言葉では言い表せない程に喜びを感じております。もし今後、私のように願う者がありましたらまた、盂蘭盆会を行って、亡き父や母、ご先祖の供養をしてはいかがでしょうか。」と尋ねました。お釈迦様が、これをお許しになったことは言うまでもありません。これがお盆の始まりですが、何にしても、お盆が、目蓮尊者のこの上ない孝行心によって始まっていることは、この祀事がより親しみを感じるところではないでしょうか。だいたい以上のような話が、『仏説盂蘭盆経』の中に書かれています。

 このお経の教えるところは、おおまかに三つ説かれています。第一に一「親によく仕え世話をして育ててくれた恩に報いる」第二に「この世とあの世とにかかわらず地獄と極楽の様子」第三に「多くの入々に施しをする」であります。父親母親は、目蓮尊者の母親のようにどんなことを行っても子供を立派に育てようと致します。弘法大師様は、四恩(父母の恩、国の恩、自然界の恩、三宝の恩)に報われなければならないとおっしゃられており、四恩の第一番目に父母の恩を示したということは、特に父母の恩を大事にしたのではないでしょうか。あらゆる恩に報いるために、私は、次のお大師様のお言葉を常に心にとめることを心掛けていますが、このお言葉をどこかで見たり聞いたりすると反省させられる方が多いのであります。そのお言葉は、

「菩薩の用心は、皆慈悲をもって本とし利他をもって先とす」

 菩薩とは、仏様のお働きをしようとする人々のことを言うのであります。仏様の働きは、簡単に申しますと「善いことをして、悪いことはしない」ことです。このことは、物心がついた三才の子供でも知っていますし、人生経験を積んだお年寄りも知っております。これがわかっていながら行なわないのは、三才の子供と同じであり、善いことを行うのは仏であります。善いことを一つでも二つでも行うとする私達が菩薩なのです。私達は、いつくしみの心をもって根本として、他の人達の利益になるように考えることが第一であります。善い行いというものは、元々、見返りを願ってするものではありませんが、他の人達の利益のために行う仏の働きは、かならず自分にも良い結果がまちうけているものであります。

02 いのちの生まれてくるところ



あわただしい年の瀬から正月へと月日が流れ、あっという間に三月。お彼岸の時期となりました。少し前までは、「十年一昔」といわれましたが、今の時代の流れから言うと、この言葉も使いにくいような感じがします。一息つく暇もなく次から次へと時代が流れ、うかうかしていると流れにとりのこされそうな気さえして、お釈迦様の説かれた「涅槃経」の「諸行無常」(万物は常に変化する)の言葉が聞こえたような気がします。時代の流れに添ってか添わずか、現代の医学は急速な発展をしております。今、新たな社会問題として「生と死」の問題が起ってまいりました。例えば、植物人間、臓器移植、人工受精、男女の産み分け、バイオテクノロジー(遺伝子の組みかえ)、そして脳死。さまざま問題をかかえ、現代の医学というよりも、科学技術文明のいきづまりにさえ思えてきます。私は、科学とか、医学とかあまり難しいことは解りませんが、ある読物に「いのち」の尊さに触れた一節を目にしました。次のような一節です。

旅人は、丘にたどりつて、ひらひらと散っている桜の花の精にこう問いかけました。
この世界に散らない花はあるのですか。
咲いた花は必ず散ります。
散った花はどこへ行くのですか。
貴方はどこへ行くのですか。
私は旅から旅ヘ、やがて家へ帰ります。桜の花も同じです。いのちの旅を旅していのちのもとへ帰ってゆくのです。
もう会うことは出来ないのですか。
いいえ、また会えますとも、いのちはめぐり、めぐるものです。また、いのちの花の咲く時、また会う時のために今会ったことを覚えておいて下さい。
そう言って、花の精は旅人の涙に濡れた顔をそよ風でやさしくぬぐってあげました。

今この一節の「花」という言葉を「いのち」という言葉におきかえて、もう一度読みかえして下さい。旅人である私達が、花の精なる大宇宙に間いかけ「いのち」の行くえを尋ねているようにも思えます。そして、「いのち」は大宇宙より生まれて、人生を旅し、大宇宙の源へかえってゆくのです。私達は、一息つく暇もないくらい時代の雑報の中で、ともすれば忘れがちな「いのち」の尊さを今一度感じ得ることが大切な気がします。



弘法大師様は、「性霊集」の中に次のようにのべられておられます。

(この世に生まれ)来ること我が力にあらず(大宇宙に)帰ること我が志にあらず

生まれて来たのは、自分の力ではなかった死もまた我が思いとは関係なくやってくる。「いのち」は自分で選べるものではないのだ。という意味であります。そこで次の会話に耳をかたむけて下さい。

A「あなたは、宗教をきらって見むきもしませんが、一体あなたはこの世にどうやって生まれて来たのですか。自分で生まれてやろうと考えて生まれて来られたのですか。」
B「自分が考えて生まれて来たのではない。自然に生まれて来たのさ。」
A「それでは、毎日火葬場の煙が絶えないがああして死んでゆく人たちは、自分で死んでいこうと思って死んでゆくのでしょうか。」
B「そりや、自然に死んでゆくのさ。」
A「それでは、あなたは頭もはげ、顔はしわだらけですが、はげてやろう、しわくちゃになってやろうとか考えてなられたのですか。」
B「いや、そんなことはない。いつの間にかこうなってしまったのさ。」
A「そうですね。生まれるのも、死ぬのも、そして、成長や老衰もみんな自分の自由意志によるものじゃなく、自然にそうなってゆくのです。そうしますと、人の生や死、成長や老衰などすべてのことは、自分がそうするのではなくて、何か眼には見えない力によるのではないでしょうか。」

こういう会話です。人はふつう自分で生きているように考えますが、実際にはそうではなくて、何かによって生かされているのです。すべての物、万物が生まれ、そして死んでゆく。その源にあるものは何なのか。それは〃自然力〃と言うと解かりやすいかも知れません。白然というものは、私達人問をも含めた地球。地球をも含めた宇宙なのであります。すべての物の生まれ、死んでゆく出来事が、大宇宙の自然の出来事なのです。そして、人の生と死なども自然の力であり、大宇宙の自然なのであります。この大宇宙の〃生命力〃が「大日如来」という仏様であります。そうすると、「大日如来」という仏様が、私達に「いのち」を恵み与えて、そして、「大日如来」という源へと「いのち」は帰ってゆくのであります。私達人問は、この世界に生まれて来たからには、誰しもいつかは「さようなら」と言わなくてはなりません。その日のためにも、今生かされている事の有難さを法縁として体でうけとめていきたいものです。生かされている我が「いのち」を生かしている全てのものにふり向けてゆく事が「生命はめぐりるもの」ではないでしょうか。

01 布施の心

私達は、とかく自分自身のことばかりを考えて、その事が原因でいろんな出来事がおこます。時にはその事が自分を苦しい立場へとおいこみ、また、人と人との関係もぎこちなくなってしまうことがあります。
 古来、ホモサピエンスが知恵を持ち道具を使い始めたその時から、文明、文化と呼ばれる社会を築いてきた今日に至っても「自分中心」の生活はかわりません。お釈迦さまは「自分中心」からお互いに助け合う人間になるためにはどうしたらいいのか、あたたかい人間関係を築くための方法を示して下さいました。それが「布施のこころ」をもつことであります。

 布施という言葉は梵語(インドの言葉)でダーナといいます。漢字に音訳すれば「檀那」と書きますが、どこかで聞いた事のある言葉ではないでしょうか。布施の布とは、心がひろくゆきわたる意味で、施とは人を恵むことであります。昔から、お店の主人とか家庭とかでダンナ様と呼ぶのも元々この意味からきた仏教の言葉です。布施には大きく分けて、財施・法施・無畏施の三つ、その他にもいくつかの分け方はありますが、無財の七施という七つの分け方があります。今回は財施・法施・無畏施のお話をいたします。言葉はむずかしいようですが、この三つの布施はどなたでもできるものであり、どんな時・どんな場所でもできるはずです。

  財施

先ず、第一の財施とは、字を見た通りに財宝・金品を施こすことです。それともう一つ物質的に相手の方が恵まれることです。財施というのは、他の人に物を施こすことですが、先程も話しましたが、どなたにでも出来ることです。なぜならば、例えば、私が財布の口をあけて百円玉を取り出して他の人に施こしたとします。これは確かに財施です。私の財布の中にはあいにく百円の小銭もありませんでした。そこで私は他の人に百円損をしないようにしてあげました。これでもやはり私は相手の人に百円施こしたのと同じことです。いかがですか。これなら出来そうな気がするでしょう。私の財布の中から百円玉を出してあげる事は一文無しではできませんが、今ここにいる
人が、千円使うところを九百円使うようにしてあげれば、百円その人は得をしたのだから、それはお金がなくても財施といえるのです。今はお金の例をあげましたが、財施というものは、ただ、お金や品物を施すてとばかりにとらわれず、相手の無駄を省かせることであったらそれは立派な財施であります。


  法施

第二の法施というのは、他の人にいろんな事を教えたり、法(仏の教え)を説いたり、お経をお唱えしたりする精神的な面の施しであります。例えば、子供をしつけるにしても法施のこころです。将来、世界の中心となってゆく子供たちに、現在指導してゆく大人達が人の人たる道を教え説いてかなけれぱなりません。先程の少年の事件の話ではありませんが、おいつめられたプレッシャーに耐え続けながらも少年には誰一人として悩みをうちあけ諭してくれる人もいなかったのです。他の人が考えれば異常に思える行動でも、少年にとっては自分は正統であると考えての行動であったのでしょうか。子供に対して、人の入たる道を教えるということは、仏様のみ教えである「すべてのものはみな平等である。また仏
様も例外ではなく平等である。という事をしつけの中心としていただきたいのであります。子供達にそのこころが芽生えれば、すべてのものを大切に思い、相手の気持ちを察し相手を大切に思うことができます。そうすれば、人々の心はかよいあい、親子の関係、友人関係等々すベてうまくいくような気がします。子供をしつけるという事は、言葉で教えるだけではありません。お母さんが毎朝お仏飯をお供えする。毎朝身の回りの整理整頓を行う。掃除をする。その行動を一つ一つ見る事によって子供達は自然とその行いが身についてくるのではないでしょうか。これも体でしめすりっぱな法施です。


  無畏施

第三は無畏施。一言でいえば人の苦労を取り除いてあげることです。街中の歩道や横断歩道などみなさんがご承知の通り、道の表面にでこぼこがあったり、青信号の時メロディが流れたり、目や耳の不自由な方やお年よりにとってはあれほど便利なものはないでしょう。電車やバスの中でもシルバーシートが必ず設けてあり、車イスの方のために階段をなくしスロープにする。などなど体の不自由な方のためにとっては、
この上ない社会の無畏施であります。
布施を行うにはこのように布施の根底となる心は仏様の慈悲の心であります。財のある人は財を施し、物のある人は物を施す。智恵のある人は智恵を施す。徳のある人は徳を施す。財施・法施・無畏施の三つともこうして見れば身近な事柄ばっかりです。身近な事であればある程、布施を行う機会も多い。多ければ多い程布施を行ってほしいものです。最後に、三つの布施を臆劫な事とは思わないで、みんなが実行できるようにありたいものです。合掌